京都パイルの誕生①

京都パイルは昭和32年2月に東堀川の地で誕生しました。初代社長は玉村辰美。現在の社長の父です。

 

創業当初は「京都パイル繊維工業所」と「揚原織物工業株式会社 京都出張所」の2つの看板を掲げていました。なぜ揚原織物の京都出張所だったのかというと、初代が創業前に福井の繊維業界で働いていた時にお世話になった関係でご縁があり、揚原織物が作るベルベットのショールの販売を受託していたのです。そして、京都パイルが作るパイルにも揚原織物は深くかかわっていました。

 

揚原織物がベルベットを作る過程で繊維粉が生じており、これは廃棄物として焼却処分されていました。これに初代が目をつけて、繊維粉を染色して電着処理すればパイルになるのでは?と考えたのです。目論み通り、繊維粉はパイルに変身! これが京都パイルの始まりだったんです。

 

また、初代は正規価格では流通できない人絹糸(レーヨンのこと)の規格外品にも目をつけ、これを安価で調達して、パイルに加工しました。

廃棄物や規格外品を原材料としていたので、非常にコストを低く抑えられ、質が良くて安価だというので京都市内や大阪のお客さんが増え、さらに香港からもオーダーが入るようになり、東堀川は手狭となったので、昭和35年に事業所を黒門通一条下ルに移転しました。

 

新しい事業所は京都市内に多い、間口が狭くて奥行きが長い「うなぎの寝床」でした。材料や製品を肩に担いで表と奥の行き来をせねばならず、当時高校生だった社長は肩が痛くて、この手伝いがとても辛かったのを覚えているそうです。今はハイリフターという便利なものがありますよね。これが当時あったらな~。